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epelにcouchdbが入ってるから、迷わずyumで入れとけ。
デフォでlocalhostからのアクセスしか許可していない。 とりあえず、 /etc/couchdb/default.ini で bind_address = 0.0.0.0 にしておけば、どっからでもアクセス可能(十分注意!)。 管理ツールのFutonは、 http://example.com:5984/_utils/ でアクセスできる。 以上 PR |
CentOS5.5にKyoto Tycoonをインスコするときのメモ。
Kyoto Cabinet http://fallabs.com/kyotocabinet/pkg/ Kyoto Tycoon http://fallabs.com/kyototycoon/pkg/ からそれぞれの最新版ソースを入手。 両方ともコンパイルは、gcc44で。 ※4.1だとコケます(ここで1時間くらいハマった・・・) $ CC=gcc44 CXX=g++44 ./configure 使い方は「Kyoto Tycoonベータ版リリースすた」を参照。 |
とうとうサムライファクトリー在籍最終日を迎えた。
最終出社日からおよそ二週間、担当サイトになにかあれば、すぐに駆けつけるつもりで待機していたのだが、幸いにも、そういった要請はなく、ゆっくり休暇を楽しませてもらえることができた。 とはいえ昨日、社内所属チームのコミュニケーション会に参加したところ、いろいろチームメンバーに作業負担が発生してしまっていることを聞いて、申し訳ないと思っている。 また、こうして、担当サイトのことを気にせずに、ゆっくり休暇を取れる体制を整えてもらえた理由のひとつに、退社日までまだ半月あるにもかかわらず、最終出社日当日の晩には、こちらからお願いするまでもなく、関連案件のメーリングリストすべてからの、退会処理を行ってくれたという点も見逃せない。 これまで片手では数えられないほどの会社を渡り歩いてきたが、こんなスピード感のある退社手続き、いや、退社前手続きを取ってくれた会社は、ここだけだった。 今後自分もこのスピード感を意識しつつ、仕事に取り組みたいと思う。 先にも書いたが、昨夜、一社員としてチームのコミュニケーション会に参加させてもらった。 が、自分の分の福利厚生費は出なかった。 しかしこれは、当然である。 もはや最終出社日を終えた身であり、会社にとってもまったくの戦力外であるがゆえ、それを出してもらうのは、こちらとしても申し訳ない。 仮に出してもらえたとしても、辞退すべきであろう。 馴れ合いを許さない断固とした態度は、今後自分もみならうべきだと肝に銘じておく。 最後に、社員の皆さんひとりひとりには本当に感謝しています。 ありがとうございました。 |
これまでのあらすじ
24歳の誕生日を迎え、ついに念願のゴールド免許を手に入れた美智子。 彼女は、誰彼かまわず見せびらかしたくて、居ても立ってもいられなかった。 だが、あいにく今日は国民の祝日、会社は休みだ。 いったいだれに?―― 彼女は、ローラーブレードを履き、マンションを飛び出した。 目指すは、猫の糞尿臭いことで有名な松山公園。 「夢はフリーダム フリーダム しゃぼんのように――」 光GENJIの『スターライト』を口ずさみながら、街を疾走する美智子に、すれ違う人々は皆、熱い声援を送るのだった。 「やれる! やれるぞ! 優良納税者のお前なら、きっと!」 「私の祖母、母、そして、私自身が果たせなかった夢を、すべて、あなたに託すわ!」 「あなた! エコポイントの交換期限がいつまでだったか、わかってるの!?」 もはや彼女を束縛するものは、なにもない。 フリーダム! 心の法定速度は無制限。 ああ、人はかくも気高く生きられるものなのか! そう、今、彼女は金色に輝く風となった―― |
一身上の都合により、約二年半お世話になったサムライファクトリーを、12月半ばをもって退職することになりました。
いろいろやり残したことはあるのだけど、最年長グループの一人として、会社を去る前に、なにか後輩たちに残せることがあるとしたら、それは技術的ノウハウよりも、もしかしたら自社サービスの立ち上げ、運用ノウハウなのかもしれない、とか一方的に思い上がってみたので、その辺り書いてみたいです。 さて、かつて「デコログ」(立ち上げ当初は「デコ☆ログ」だった)という、携帯端末向けブログサービスの企画、開発、運用を手がけたことがある。 自分の中では、前の会社での仕事だし、ここまで大きく育ったのは、現在、担当されている方々の並々ならぬ労力の賜物なので、自分の手が離れたあとでアレコレ書くのはなんというか、まあアレなんだけど、サービスの立案から人気に火がつくまでの過程を思い返して綴ることは、もしかしたら、これから新規サービスを立ち上げようとする我が社、そして同じ業界の人たちにとって、それなりに参考になるんじゃないかと思うので、広く読んでもらえたらと思う。 とはいえ、もしかしたら、いろいろなアレで、書かれたら困るという人もいるかもしれないし、書くなというなら、すぐ消しますんで、ご一報を。 「デコログ」をリリースする前、当時まだまだTwitterが国内ではさほど話題になっていなかった頃、ブログよりももっと、気軽に今の自分の気持ちやステータスを投稿できるサービスがあったらいいんじゃないか、ということで、いわゆるミニブログサービスである「acbi」を企画、リリースした。 たしかβ版は一日で作って、こんなのどうよ? ということで、社内のメンバーだけで楽しんでいたと思う(ちなみに、β版のコードネームは「薔薇族」だった)。 それが、これいいね、おもしろいじゃん、と事業化することになったのだが、まあ、機能が単純なだけに、あれこれ体裁を整えたり、規約など法務的な面やプレスリリースの準備が必要だったとしても、せいぜいひと月もあればリリースできたはずだった。 だが、いろいろ皆でいじっていると、ああいう機能もつけたい、こういう機能もつけたいと欲が出てきて、なんだかんだで、後から後からゴテゴテと機能を盛り込んでいくうちに、当初のリリース予定日を大幅に超え、二ヶ月遅れでリリースすることとなった。 それだけ練りに練って、思い入れがあったサービスにもかかわらず、リリース後は鳴かず飛ばず。 どうやら、あまりに機能過多となりすぎて、「じゃあいったいサービスの売りはいったい何?」と、サービスコンセプトが埋もれてしまい、ユーザも戸惑ってしまったのが原因じゃないかと。 しかも、度重なる仕様追加や変更で、開発者(つまり僕です)が疲弊しきってしまい、正直、リリース後に引き続き改修していく体力・精神力が残っていなかった。 リリース後、一、二ヶ月が経ち(2006年暮れ)、まあこれは失敗だったな、というのは社内でもなんとなくわかってきていたんじゃないかと思う。 そんな心の傷を癒すためだかなんだかわからないけど、社長は個人的にリフレッシュすべく、クリスマス前から正月明けまで、ハワイへと長期休暇に旅立ってしまった。 で、自分は日本に残されるわけだが、その間ボンヤリしているわけにもいかないので、ハワイ出発直前、社長に、次の新規サービスどうしましょうねぇ、と話をしたところ、なにかアイデアないですかというので、以前に勤めていた会社でくぁwせdrftgyふじこlp(スミマセン、ここ、書くとマジで命が危ないので……) で、じゃあ、それ作っておいてくださいと言われ、一週間で作ったが「デコ☆ログ」だった。 そして社長がハワイから帰国後、まあ、前回の「acbi」の反省点、「リリース前にひとりよがりでサービスを大きく膨らませ過ぎると、ロクなことがない」、つまり、 ユーザに一番伝えたいこと(コンセプト、機能)はできるかぎり明確、シンプルに。 開発者は自身の企画に自信と責任を持ち、リリースに向けて開発モチベーションを高めていっている。 を肝に銘じ、とにかく、はてなのjkondo氏の提唱する「50%リリース」を合言葉に、「デコ☆ログ」(ちなみにコードネームは「豆腐」だった)は企画から、ひと月という単スパンでリリースされた。 当然ながら、リリース当初(2007年2月)は、ほんとうにシンプルな機能、記事の投稿・コメント機能程度のみだった。 だが、その代わり、これからおっきく育てるぞ! というモチベーションの高さと体力だけは、有り余るほどあった。 つづく(クレームが入らなければ……) |